【櫻宮地車囃子保存会】

櫻宮地車囃子保存会は『櫻宮 催部』の下部組織としてだんじり囃子を広く伝え、残していくというコンセプトで結成しました。

祝事・慶事行事や各種イベントやパーティー等の場を通じて、大阪の郷土芸能である『だんじり囃子』を、また『地車文化』をいつまでも残していく為に、様々な形で活動をしております。

春には桜祭り 櫻花祭(おうかさい)

夏には夏祭り 夏祭禮(なつさいれい)

秋にはだんじりパレード(都島区民まつり)

冬にはカウントダウンイベント

これら1年を通して様々な行事を行っております。(その他 活動内容をご参照ください)

少しでも多くの方とお会いできることを保存会一同楽しみにしております。

また、祝事・慶事行事や各種イベント、パーティー等のご関係者各位様で『だんじり囃子』のご依頼がございましたら、お気軽にご相談ください。

【地車(だんじり)】

地車は、口伝され応用変化していく大衆文化のため、正確な記録はほとんど残っておらず、地車の経緯や起源についてはさまざまな説があります。

今から400年以上前、大阪城築城の時に石垣を台車に載せて運ぶのに鳴らした鳴り物が、後に祝い囃子とされ大阪の祭囃子となり、大阪の北区天満を中心に発展したといわれています。

囃子の舞台に車が付き、祝い囃子が村中で廻るようになり、屋根が付き花や幕で飾られ今日の「だんじり」「地車囃子」へと発展していったと考えられます。

いつの頃からか、神の恩恵に感謝して五穀豊穣、無病息災、商売繁盛を願い、地車が曳き出され、今なお庶民の手により古き良き伝統文化が継承されています。

ちなみに「だんじり」から最も多く連想される『岸和田だんじり祭り』は、大阪(浪花)の歴史より100年ほど新しく、元禄16(1703)年、当時の岸和田藩主の岡部長泰公が五穀豊穣を願って、京都の伏見稲荷から城内の三の丸に御神体を勧請することとなり、領民が城内に入ることを許され、以来長い歴史と伝統を持つだんじり祭が始まりました。

【地車囃子(だんじりばやし)】

お囃子は「地車」を動かすのに欠かせない存在です。

「地車」が地車庫から出される時から、曳き出す時、走る時、曲がる時、坂の登り下り、橋を渡る時、止まっている時、そして宮入の時など、情況に応じて曲が打ち分けられ、遠く離れていても「地車」のその時の状況がわかります。

大阪の「地車囃子」は地車を動かす鳴り物としてのお囃子だけではなく、舞台の上でも祭礼や正月、花見、えべっさんや結婚式などのお祝い事やイベントなど、1年を通して舞台囃子を聞くことができます。

また、特異な例ではありますが、地車に携わった人が亡くなった場合、地車囃子で見送ることもあります。

地車囃子の聴きどころ・見どころ

地車囃子は和楽器の大太鼓・小太鼓・鉦(か)で構成されており、舞台で行われる「地車囃子」も同じように、大太鼓1張・小太鼓1張・鉦2丁を用いて、舞台に座り演奏するのが一般的です。

大太鼓を『親』、小太鼓を『子』ともいい、これは地車囃子を『家族的な和』ととらえております。

「親」はお囃子全体をリードし、曲の長さやテンポなど「親」の合図で曲が次々と進行していきます。大太鼓の打ち手によって、音や間合い、テンポが違うため聴き応えがあります。大太鼓には「皮」と「側」との音の組み合わせによっていく通りにも音色が作り出されていくもので、いわばプロデューサーのようなものです。また、音色だけでなく「側」を打つバチさばきにも注目です。

次に鉦は「地車囃子」のメロディを担当します。囃子を生かすも殺すも鉦次第。左右2丁の鉦の息がぴったり合わないとお囃子も台無しになります。

「子」は一見、地味に見えますが、鉦と大太鼓の音を包み込むように一つに束ねる、とても重要な役割を果たしています。

【龍踊り(りゅうおどり)】

太鼓の「皮」と「側」の音を組み合わせながら絶妙なリズムを作り出す大太鼓に、息の合った鉦のメロディと、その全体を包み込む小太鼓。重低音と高音、3種類の鳴り物が奏でるアンサンブルは軽快なリズムの中、龍が舞う不思議な空間を生み出します。舞台の前でお囃子に合わせて手や指先、全身を使って龍を表現する踊りを「龍踊り」と言います。天に昇る龍や爪を磨く龍、宝玉を取ったり、雲に乗ったりする様や2匹の龍を表現したりと、龍の様々な動きや、指先で表現する龍の爪や顔の表情といった細部まで見所はたくさんあります。

本来は、もっと違った踊りがあったようで、囃子に合わせて体を踊らせていて、やがて「狸踊り」や「狐踊り」などと言われるようになり、手を前後や上下に出して楽しく踊り、「恵まれますように」「豊作になりますように」と願いを込めて踊るようになったのです。

現在よばれている「龍踊り」という名はおそらく後から付いた名前であり、手の動きを見た大阪(浪花)の商人が縁起物の龍に見えるというところから「龍踊り」と名付けられたのではないかと言われています。

【大阪手打ち(おおさかてうち)】

『う(打)ちま~しょう  パン・パン
もうひとつせぇ  パン・パン
いお(祝)うてさんど(三度)  パン・パパン』

「大阪締め」や「なにわ締め」など呼び方も様々ですが、「手打ち」や「上方手打ち」「大坂手打ち」が正式な名称です。

その昔大阪では、商いの成立のキッショの手拍子として使うので「手締め」とは言わず「手打ち」と言うようです。また、武士の町であった東京(江戸)では、殿様の勘気に触れてのお手打ちにつながるので「手打ち」とは言わず「手締め」という呼び方となったとも言われています。

こんな大阪手打ちのルーツはもともと豊臣秀吉の時代に、櫓(やぐら)太鼓の打ち方と掛け声をなぞったもので「打~ちましょ」とは、太鼓を打つことを意味しています。それが江戸時代になると北浜の米市場などで「ほな、この辺で手打ちまひょか」契約成立を知らせる手拍子として使われるようになりました。

本来の手打ちは冒頭の3節に続いて「めだたいなぁ パンパン、本決まり パンパン」と2節が加わります。『本決まり』まで言うことで、契約成立を祝うわけです。

みなさんが親しまれている3節までの手打ちは省略形で、庶民的手打ちが多く使われております。

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